ワインを常温で管理する派の意識とは
今回は現状のワインに関して考えてみることにする。 ニューヨークで有名なワインショップ、先日合田さんが訪れたそうだがすべて常温管理。
前回フランスに行ったときもそうだが、一部部屋を冷やしているところもあったが、多くは常温管理。イタリアやスペインも多くのワインショップが常温管理 。
日本でも自然派のワインバーなどではワインセラーは置いてあっても常温管理のワインが多い。 フランスでもアメリカ向けのワインにオークチップを使ったり脚色して濃厚なスタイルにしているのも熱劣化することで変化する姿を飲めるように持っていっていることがわかる。
先日のスペイン合同試飲会の会場でも、ワインは緩く本来の良さがわからず大きな要素だけで美味しく感じさせようとしていることがわかる。 私たちも付き合っているとあるインポーターも、試飲会の際は温度が高くしまりが悪い。
このようなことを見ていくと、世の中は常温管理してもそれに耐えられる、そして常温管理で美味しいワインこそが認められやすいことがわかる。だからリーズナブル系のワインでも濃いワインこそが認められ、高級ワインのように要素の多いワインの方が大きな要素が膨らみそれが魅力と感じることが多いのだろう。熱劣化してこそ出てくる要素に響く人が多いのもこういった世界が一般的であることを示している。
ここにワインの生産者と扱う側との大きなギャップがあるのだ。旧態依然としたワインの扱い方が温暖化による影響が多くなった現在でも続いている。
では逆にコンディションを多少でも意識した側から見てみると、コンディションの良いワインは完璧に扱わなければ逆に魅力を失うことも多い。酸が立ったり、ちょっとした果実味の変化でバランスを崩したり、本来の姿を体感できる機会は意外に少ない。ワインショップでも部屋全体を冷やしたり、冷蔵庫で管理したりしているが、これではコンディションの良いワインの管理ができているとはいえない。こういった場合、確実に酸が落ちてしまっていることが多い。特にラシーヌの輸入するようなワインはコンディションが良いからこそ光るワインが多いのだ。
熱劣化しても変質した魅力を発揮するワインと、コンディションが良くなければ魅力を感じにくいワインがあるのだ。
とあるインポーターのワインは理想的な熱劣化を狙っているとしか思えないほど試飲会などで出されるワインは見事に変質しているのだが、これは素人が欺されるだろうなと思うほどに一瞬凄く美味しく感じるまでに変質させてある。こういったワインは昔からのレストランで良く出てくる感じの味わいで、表面的に魅力的な世界が良く出ているのだが、本来の奥行きや酒質の良さなどの要素は感じることができない。
なぜこういったことが起きるかと言うことに関しては、ワインの世界が変質の歴史だからだ。
船で世界一周するとワインが美味しくなる。現実的にそんなことも多かったはずだ。ワインが長熟なスタイルで今よりももっと雑さがあった時代、ワインは変質によって魅力を出していった。私がワインを楽しみ始めた時代もまさにそんな感じだ。多少熱に当たった方がより要素が強く出て美味しく感じたことも多くあった。でもルロワの作ったワインなどはコンディションの差で天地ほど味わいが違っていたからその当時でもコンディションが良ければより美味しいワインは沢山あったのだ。
現代のように早熟系のワインが多くなり、質を求める時代、ワインはより繊細になり、昔のように演出系のインパクトの強いワインが減っているのにも関わらず、ワインの扱いが昔と同じだから驚く。生産者の多くは次第に酸化防止剤を少なくする中、より変質しやすくなっている。
ではなぜこのことに気がつかないのだろう。海外のワイン関係者も作り手の蔵を訪れることは多い。実際にそこで作り手のワインを飲んでいるのに、扱っているワインとの差があまりにもあることには気がついているはずだ。
しかしこんなことがいえるのも私が日本に住んでいるからともいえる。今の日本は生産者の元にあるワインそのままの姿で輸入することができる。コストさえかければ。1本400円ほどのコストがかかるのだが。リーファー便、ヤマトのクール便などもあるし、日本人はきまじめだから信頼もおける。
ところが海外に行くと時間は守らない、わからなければずるをするなどとても信頼できるような環境が整っていない。
フランス国内で生産者の元から船までワインを運ぶ際にリーファートラックを手配しても、常温便のトラックで運ぶなど当たり前。かなりいい加減なのだ。
こういったことを考えると、日本以外ではまともにワインを輸入することさえ非常に難しく、日本でも完璧な状態でワインを輸入するためには驚くほどの努力と猜疑心が必要と言うことになる。
こういった現状を考えると、常温派ほど現実的な世界であり、ラシーヌなどのインポーターやワインホリックはマニアックな少数派ということになる。
これは職人の世界と、大量生産の世界と同じような違いだ。世の中の多くの人が求めている便利さとより深い世界との違い。
こう考えると現状もしょうがないのかなと思ってしまいがちだが、実はそうでもない。職人の世界で築かれたものを大量生産の世界へと導くのが世の常。時間はかかるだろうが、真実のワインの世界も次第に身近になってくるはずだ。そして多分それは日本が先導する世界だろう。
そのための鍵は、やはりリーズナブル系のワインがコンディションによってこれだけ違うのかを明確にわかってもらわなければならない。そして高額な本当に素晴らしいワインを購入できる層にそれだけお金を出せば本当の心の安らぎを得られるような世界があるのだと理解できるような世界を見せなければならない。
新興のお金持ちが増え、本来の文化の継承が難しくなっている現代。お金が一番大事で、金が金を生み出すような世界。便利でお金持ちでなくても身近な楽しみが多くなった現在、そういった深い世界や感じることにあまり大きな価値を感じなくなっているのだろうか。
お金の価値をただより安いと言うことだけでしか見ない人もいれば、本来の価値に目を向けることができる人もいる。ここに本質を見極めることのできる人とそうでない人との大きな差がある。しかしそうは言ってもこれは指向の違いともいえるだろう。要するにその人の幸せ感があれば人は納得するものだから。
でもワインの世界に限ってみれば、あまりにも遅れすぎているといえる。現実(ワインを扱う側)と真実(生産者)とのギャップがありすぎるのだ。
今南アフリカの若手生産者がこぞってラフィネに輸入して欲しいと言っているのも、日本で彼らのワインが変質せずにちゃんと扱われていることを知っているからだ。
私たちはそういった生産者の思いを伝える、というとなんか良い子ちゃんぶっている感じだが、本来の世界こそ本当に魅力的なのだと言うことをなんとしてでも伝えていきたい。
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