どのようにすれば美味しいワインを手に入れることが出来るのか?
昔は熟成した官能的なワインだけを扱ってきたのに、今はどうだろう。なんと新しいヴィンテージのフレッシュなワインばかり。これが30年間の変遷である。
セラファン、ピッション・ロングヴィル・ラランドの古酒によって目覚めたワイン人生は15年半ばで急展開を遂げる。結局ワイン業界に知り合いはいても、業界とは距離を置いてきた一匹狼。
他人の思考に左右されることを好まない性格は業界を敵に回す形でワインのコンディションという問題に立ち向かうこととなる。支持されつつも嫌な顔をする人たちも多い中、さすがに15年も続けるとそれなりに共感してくれる人も多く、仲間ともいえる人たちも数多く出来た。
さすがにこの問題に関しては、ある意味他人のワイン人生を否定することにもなるためにきっと「殺してやろうか!」なんて思っている人もいたのではないだろうか。でも今生きているのはまあラッキーだったのかもしれない。
しかし日本ほど形にこだわるばかりに本質を無視する国も少ない。だから平和なんだともいえるが、右にならえ的な思考停止状態を良しとし集団生活を重視する思考が嗜好の世界であるワイン業界にまで及ぶとそれはある意味罪としかとらえることは出来ない。
ワインの世界は実に面白い。美味しい、美味しくないだけでとらえられる食の世界がある一方、何故ワインに関してはそのようにとらえることが出来ないのか。
実はこのことに関しては分析してみると実に面白いのだ。
つまり一般に売られているワインは美味しいと思えないのが現実。もともと一般の人が普通にワインを口にするようになったのはたかだかこの10年前後。だから美味しいか美味しくないかの判断がつけにくいのがワインなのだ。もともと酒と言えば酎ハイやハイボール、日本酒、焼酎が一般的な日本の世界。普通のお店に入って凄く旨い酒なんかにありつくことはなかなか出来ない。ワインも通常手に入るようなワインはせいぜい酎ハイ程度の味わい。ところがお歳暮などでもらった高級酒は何故か旨い。ワインって高い方が美味しいんだなとここで印象づけられる。
みんながワインを飲んでいると「あ〜ワインってお洒落だな!」ということでワイン仲間になる。いろいろなワインを飲むとその中には当然美味しいと感じるワインが出てくる。酎ハイを飲むよりも遙かにお洒落で人との交流も楽しい。
30年以上前からワインを楽しんでいる人はきっと私と同じように官能的で吃驚するようなワインに出会ったことだろう。妖艶な女性のごとく離れられなくなり今に至る。ところが15年前を境に以前のような素晴らしいワインに当たる可能性が低くなっている。周りのワインもどんどん変わり数少ない昔のイメージのワインを探し続ける。
熱で劣化したときに突如現れるような奇跡的な熟成感。この熟成感が出ているワインが好きでこういった部分にしか興味が持てない。
ワインが好きなのだが、あまり美味しいワインに出会うことが出来ない。その理由もあってワインスクールに行く。ワイン仲間も出来楽しいし、ワインの知識も何となくついた。でも未だにワインのことは分かるようになったが今ひとつ美味しいワインに出会えない。
旦那がワイン好きで高いワインをいつも飲まされるが、正直美味しいと思ったことはあまりない。
ワインをコンディションという見地から見ると、ワインの世界は目から鱗のように理解が出来るようになるのだ。
もともと変質していることが当たり前の世界のワイン。この変質の過程を説明しろと言っても無理なわけだから、どこでどのように扱われたのか分からない。だから同じ銘柄同じヴィンテージでも買うところによって味わいが違うのだ。買うところによって変質具合が違うのに美味しいワインを探せと言っても無理があるのだ。
そして一般的に美味しいと言われるワインは熱が入っても美味しく変質しやすいワインと言うことがいえるのである。
ところが現代的な早熟系のワインは熱が入ると多くの魅力を失う。
よってワイン雑誌などは古典的なワインや熱が入っても美味しく変質しやすいワインを選ぶ傾向があるのだ。
もう一つ面白いことがある。変質した自然派ワイン。これが意外と受けていて自然派ワインが中心のお店ほど酷いワインが多いのだが、そこに何故か人がわんさか押し寄せている。これだけは私も理解に苦しむのだ。あんな不味いワインがってな感じで、、。
時代の流れによって今生産者たちは、農薬や化学肥料などの生産効率重視の農業からの脱却を図り始めている。有名生産者などもこの流れの中で徐々にその流れの中に取り込まれつつある。もう過去に縛られずに一から見直さなければワインを扱う側もその流れについて行けないのである。
ところが面白いことにワインを扱う側の意識はそんな生産者たちの流れを無視するように売ることだけに集中する。
これでは美味しいワインなど楽しむことは出来ないし、購入することすら出来ない。
ではどのようにしたら美味しいワインを購入することが出来るのだろう。
大切なことは、インポーター、酒屋なのだ。外で飲むのならインポーター、飲食店なのだ。
まずは日本にワインを届けるインポーターの信頼度。ここでワインが悪くなってしまっていれば、その後ワインが良くなるなんてことはない。
信頼できるインポーターのワインならその次に扱う、酒屋さんとか飲食店の扱いでワインは変わるのである。
ラシーヌを中心とした秀逸なインポーターのワインは熱劣化すると見事に美味しくなくなるワインが多い。変質しやすい現代的で優秀なワインが多いことが原因。
だからこそインポーターからワインを購入した酒屋や飲食店での扱いが鍵になるのだ。
美味しいワインに当たったら、どこのインポーターのものでどこの酒屋さんで買ったかを意識して欲しい。これこそワインの扱いの違いがもたらす味わいの差なのだ。
一番してはいけないことは下記の通り。
●価格が他より安いから買う。
●有名生産者だから美味しいと思って買う。
●ワイン雑誌で美味しいと言っていたから買う。
●有名評論家が高得点を出しているから買う。
もしあなたがラシーヌやフィネス、ラフィネなどの秀逸なインポーターのワインを一度でも美味しいと思ったことがあるのなら、上記のような買い方をしたワインがいかに確率が低いかをご存じのはずです。
あんなに高いお金を出して買ったのにそれほどでもなかったな、、なんて経験ないでしょうか。
ワインの説明で誇大広告のように美味しいと書かれていたワインが意外と美味しくないなんて経験は?
ワインの世界は人のことを信用していては美味しいワインにはなかなかありつけないのです。それは私も一緒かって?
それはあなたが判断して下さい。
私は誰が飲んでも単純に美味しいと思えるようなワインだけを扱っていきたいと思っています。
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