何故昔のワインはあれほど表情が豊かだったのだろうか、、

フィイスブックの記事で山本氏がロバート・モンダヴィの1978年を飲み「ワインは抽出ではない」と書いてあった記事を見てふとこのことについて書いてみたくなった。


私も最近のワインを飲んでいると質感重視のワインばかりで表情の多様さが足りないと感じている。

私は運が良いことに30年前に1949〜1950年代の優れたブルゴーニュを多く飲む機会に恵まれていたために、なおさらそう思うのである。

先日初めてちゃんとした状態のマニエールを飲んだ時にそのきっかけともいえる印象が残った。軽やかなのに複雑さに溢れる姿。これこそがブルゴーニュの魅力だったのではないか。現在こういった姿を見ることができるのは他にはラヤスだけかもしれない。

ロバート・パーカーの功績は認めるが、販売においてはどうしてもアメリカを無視することのできなかったブルゴーニュは徐々にそのスタイルを変えることになる。これは単にアメリカ人が濃いワインを好きだからということだけではなく、輸送に強いワインであることが重要だったことも想像できる。何しろ未だに赤道を通る通らないに限らずリーファーコンテナを使わないワインがほとんどだけに、海外のワイン事情は酷いものだ。このような状況だとアメリカの影響がブルゴーニュのワインを変えてしまったともいえる。

抽出を多くして濃密なワインを作る。そこでブルゴーニュが失ったものは致命的なほどに大きい。

今フランスでは農薬や化学肥料からの脱却を試みているが、それだけではなく本来の姿を取り戻す試みをお願いしたいものだ。

しかし現在生産者とワインを扱う側との意識の差があまりにも大きい状態では販売面のリスクがあってなかなかそうはならないだろう。

やはり日本主導でワインのコンディションを良くする取り組みをすることで、本来あるべきワインの姿を取り戻したいものである。


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PUR SANG

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