ワインの旨みについて考える
私が求めるワインの複雑さについて考えてみます。
私はただ純粋な姿だけのワインにはあまり興味がありません。やはり旨みを感じるワインでないと感じるものがない。肉でもただ時間をかけてロゼに焼いた肉、塩分も弱く旨みの少なく感じる肉では幸せになれません。
モルト・ウイスキーが税金から逃れるために使用したシェリー樽。このシェリー樽を使用したからこそモルト・ウイスキーの未来が開けたと言っても過言ではない。
ワインも同じで樽の要素がワインに複雑な姿を与えてきたのだと思います。しかしステンレスタンクで作ったワインにも美味しく感じるワインが沢山あります。特にワインホリックで扱っているようなリーズナブル系ワインの美味しいこと!これだけで良いじゃないかと思う日もあるくらい、、。
最近の自然派ワインは妙な酸化臭が旨みを隠していたり自然派特有の味わいが旨みを隠してしまっていると感じることもあります。オレンジワインなどは全くの別世界。安ければ納得しますが、価格が高いとどこに価値があるのか分からない。ワインはコストパフォーマンスも非常に重要になってくるので私にとって価格が上昇するほどに魅力的であることが必要です。ピュアーな世界にもきっと図抜けたワインが存在するに違いないとは思っています。
ただ現状を見ていると、コスパの悪いワインが多すぎます。まだ実験段階とも言える状況ではしょうがないのかもしれませんが、、。
樽の使い方でも作り方によって様々である作り手は良い古い樽が手に入らないために初めてのリリース時に新樽を使いそれからその樽を使い回し古樽にしていく過程を実践しています。樽の要素がワインをより複雑にしていく。でもその樽の要素が強く出過ぎると化粧っ気の厚いワインになる。アメリカ向けのワインなどはその化粧っ気を求めて木のチップを入れたりしています。アメリカはやはり脚色系のワインが好まれるのです。
最近のフランス自然派に感じることは葡萄の旨みを上手く表現できていないこと。なんかつまらないと思うワインが多い。酸化臭ばかりして味わいもそんな感じ。とてもじゃないが美味しいとは思えない。その理由の多くは資金不足や素晴らしいテロワールの葡萄を使えないことですかね。良い畑はほとんど昔から所有している人や買収した大金持ちによって所有されているために買うことさえ出来ません。ですからフランスなどでは皆土地の安いラングドックやルーションなどでワインを作っているのです。でもその中にはレオン・バラルのような別格に素晴らしい作り手もいます。
かといってプリューレ・ロックのように恵まれた人でも、飲んでみると面白くない。たしかに上手く作っているし自然派だし、、でもテロワールの差は出ているもののただ出ているだけで美味しさにはつながっていないように感じてしまいます。それに妙に高いし、、。
いくら勉強してもテクニックを身につけても人間感性を磨くこととは違うと言うことを飲んでいて感じることが多いのです。勉強は大切ですが時として感性が磨かれることを邪魔することがある。勉強したことを自分で完全にものに出来れば良いけれど、ただテクニカルなこととして実践するとぎくしゃくしてしまう。本物のワインとはその作り手の人生が反映されています。だから美味しいワインを作る人はどこか変わっているのです。変人だったり狂人だったりどこか人生を深く突き詰めているところがある。これってどこか昔の料理人を想像させます。そして現代だとおたく。ちょっと社会から隔絶されがちなおたくですが、一つのことを突き詰め楽しんでいる。やっぱりいいこちゃんじゃ良いものは作れないんですよね。社会生活はうまく営めてもそれ以上のことは出来ない。一つのことを深く突き詰めその真理を知ることこそ美味しいワインを作ることの出来る決め手だと思います。これが個性につながる。
試飲会やセミナーに行くとワインを作っている立場でもないのにテクニカルなことばかり来ている人がいる。大企業でビールを造るんなら分かりますが、ワインを愛する人たちが聞いているのをみると大丈夫かなと思ってしまいます。そんなテクニカルにワインを考えたいんならフランスではなくアメリカワインを飲んでいれば良いと思うんですよね!(すいません、アメリカワインを飲んでいる人を馬鹿にしているわけではありません)
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